恋人が出来ない理由

見返りを求めなければ愛は手に入る

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好きな相手に対しては何かをしてあげたいと思うものである。

例えば、旅先で素敵なものを見つければお土産として買って帰りたいと思うだろうし、相手が何か捜し物をしているのであれば、それが見つかるまで一緒に探したりする。

それらは好きな人に対しての愛情表現であり、心の底からそうしたいと自然に思えるものである。そうした自然と沸き起こる愛情表現は本来素晴らしいものであるから、モテるためにはその気持に従って積極的に好きな人に対して愛情表現をした方が良い。

その行為自体はとても素晴らしいものではあるが、モテない人は相手に対して愛情表現の見返りを求めてしまうことで全てを台無しにしてしまう

真の愛情表現はけして見返りを求めない

真の愛情表現はけして見返りを求めたりはしないものである。

何故ならば、真の愛情表現は心の底から沸き起こる純粋に相手のことを愛しいと思う気持ちの現れだからである。「あなたのことを愛していますよ」という気持ちを形にしたもの、あるいはの気持を相手に伝える術が愛情表現なのである。何かが欲しくてそれをするわけではない

しかし、モテない人は相手に見返りを求めて行動をする。ここにモテる人とモテない人との大きな違いがあるのである。逆を言えば行為に対して見返りを求める人はモテない人であり、見返りを求めない人はモテる人と言える。

表面的には全く同じように見える愛情表現だったとしても、見返りを求めるか求めないかで相手の感じ方や受け止め方は全くちがうものになる。両者の愛情表現には根本的なところで大きな違いがあるのである。

見返りを求めない人から親切にされれば、人は心地よい気分になれる。そして感謝もしたくなる。しかし見返りを求めるような人からの親切はネバネバとして重い気持ちにさせられてしまう。

見返りを求める人の愛情表現は偽物である

見返りを求める人の愛情表現は偽物の愛情である。相手のことを想っての優しさにみせかけて、実のところは自分が良い思いをしたいからにほかならない。

見返りを求める人の行為の全ては、自分自身が欲しいものを得るための偽りの愛情表現なのである。欲しいモノとは相手の気持ちである。

見返りを求めるひとは、親切にしたり優しくしたり、或いは贈り物をすることの見返りとして相手の気持ちを求める。別の言い方をすれば相手に気に入られようとして親切にしたり優しくしたりするのである。

しかし一度それが得られないことがわかると、見返りを求める人は損をしたと考える。「何も得られないのであれば優しくするんじゃなかった」と後悔をする。中には恋を諦めた途端に「今まであげたものを返せ」と請求する人もいる。

見返りを求めると人は離れていく

見返りを求められると重たく感じる

愛情表現に見返りを求めるような人は、相手に優しくしたり、贈り物をしても、相手から好きになってもらえることはない。むしろ、狙いとは逆に、相手との距離はますます離れてしまう。

何故ならば、見返りを求めた瞬間に愛情表現は変質してしまう。偽りの愛情表現になってしまうのである。そして人はそれを敏感に感じ取る。

見返りを求められると、人は次第に精神的な重さを感じるようになり、素直に受け入れることができなくなる。そのうち遠慮したり、時にはあからさまに拒絶を示すようになる。なるべく関わたくないと考えるからである。

人は見返りを求められない親切や優しさは素直に受け入れて感謝できるが、見返りを求められるような親切や優しさに対しては拒絶を示すものである。もしもそれを受け取ってしまったら「何かをお返ししなければいけない」というプレッシャーを感じてしまう。

いわゆる「借り」である。その借りがあるうちは重苦しい気持ちがずっと続く。だからすぐにでも借りを返そうとする。或いは「借り」を作らないように、見返りを求める人からの新設や優しさを拒絶するようになるのである。

しかし見返りを求める人はそのようなプレッシャーを相手に与えていることに気が付かない。見返りを求めるのは当然のことだと想っているからである。そして本人が意識しているいないに関わらず、見返りをよこせというプレッシャーを与え続ける。

その重苦しいプレッシャーから逃れるために、逐一お返しをすることで精算しようとしたり、新たな借りを作らないように遠慮したり拒絶したりするようになるというわけである。

モテない人は見返りを求め続ける

見返りを求めれば、相手にプレッシャーを与えてしまうことになり、その重苦しさから逃れようと相手は離れようとする。しかし困ったことに見返りを求める人は相手の気持ちに気がつくことができない

見返りを求める人の行動は相手を想う気持ちではなく、自分の願望を満たすことが根本にあるのである。だから相手がどう思うか、どう感じているかについては全く興味がない。いつも自分が受け入れられるかどうか、自分を好きになってもらえるかどうかしか考えていないのである。

ストーカーになりやすい人はまさにこの典型で、相手を気遣ったり、贈り物をする優しさの裏側には、相手に自分の気持ちを受け入れて貰いたいという見返りを求めていて、気持ちが受け入れられないと判ると「あんなに親切にしてやったのに!」「今までお前に遣ってきた金を返せ」などと最後まで見返りを要求し続け、最悪の場合は相手の命を奪うまでしてしまうのである。

見返りを求めている人は自覚がない

見返りを求めている人ほど、好きな相手する新設や贈り物に対して「お返しなんて求めていない」と考えている。自覚していないのである。

見返りとは一体何か?それはけして物質的なものだけではないのである。

例えば、好きな相手に親切にしたり、何かプレゼントする時に、相手に気に入ってもらいたい、相手に喜んでもらいたいと考えたりすることはないだろうか?

物質的な見返りを求めず、単に相手に喜んでもらいたいと思うだけでも駄目なのである。それはあなたが相手に望んだ反応を相手に期待していることになるからである、要するに相手に対して「喜ぶ姿」という反応を見返りとして求めていることになるのである。

例えば、きっと喜んでもらえるに違いないと思いながら相手に贈り物をしてみたが、相手の反応があなたの望んでいたような反応でなかった場合、見返りを求めている人は落ち込んでしまう。自分が望んでいたような反応を相手から得られなかったからである。

それは相手に対して喜ぶ反応を期待していたからで、その期待通りの反応が相手から反ってこなかったがために残念だと感じる。要するに、相手に対して喜ぶ姿という見返りを期待していたのと同じなのである。

そのような気持ちは相手に必ず伝わる。だから相手は親切にされたり贈り物をされたときに「あなたの望んでいる反応をしなければいけない」というプレッシャーを感じてしまう。そして大してうれしくなくても喜んだり、嬉しいフリをしてしまう。そしてそれが積み重なれば精神的な負担になってくる。

また、相手が精神的に成熟している人であればあるほど、そのような見返りを求められてもあっさりとした反応をする。相手に期待されているような反応はしない。それはお互いにとって良い関係を築けるものではないと理解しているからである。そして見返りを求める人の性質もよく理解しているので必要以上に期待に沿うようなことはないし、早々に拒否するかスルーするかで深く関わろうとはしない。

徹頭徹尾見返りを求めない

この情況を避けるためには、何も見返りを求めない以外に方法はない。相手に何かをしてあげたと思う気持ちだけで満足すべきなのである。もちろん相手に何か贈り物をする時に「喜ぶかな?」「気に入ってもらえるかな?」といろいろな思いを巡らせるのは悪いことではない。それは喜びでもあり楽しみでもある。

肝心なのはそこから先である。相手に対して「喜ぶ姿」や「気に入る」という反応を求めてはいけない。たとえ相手があなたが思っていたような反応をしてくれなかったとしても、それはそれとして考えなければいけない。どう反応するかは相手の勝手である。極端な話、相手に受け取ってもらえなかったとしてもそれはそれである。

それを認め、受け入れることが大切なのである。見返りを求めないとはそういうことである。

真の愛情表現とは

一切を求めないで与えるもの

好きな人に対して、愛情表現をしたいと思うことはけして悪いことではない。むしろ気持ちを隠したりせずにどんどん愛情表現をしていくべきである。

しかし、それと同時に親切や優しさ、贈り物などは、爽やかで気軽なものほど喜ばれるということを忘れてはいけない。そこに見返りを求めたり、意味を含ませたりするようになれば、たちまちそれは重苦しいものに姿を変える。

モテたい、気に入られたい、あるいは好きになってもらいたい、そう思うのは仕方がない部分もあるが、見返りを求めるようであれば、何もしないほうがマシである。愛情表現は賄賂とは違う。愛情表現は誰かに求められて行なうのではない。何かの見返りを期待して行うものでもない。

愛情表現は常に相手の幸せを願いう気持ちから起きる行動である。そして相手を喜ばせることを基本的に考えはしても、それで相手が喜んでも喜ばなくてもそれは重要なことではないことを忘れてはいけない。愛情表現に対しての相手の反応は、いかなる反応であっても期待してはいけない

反応を期待することは、反応という見返りを求めることと同じである。その期待が相手にはプレッシャーとして伝わる。そして期待した反応が得られなかった場合はしなくて良い後悔をしてしまうことになる。望んだ反応が得られたとしても、もっともっととハードルが高くなってしまうだけで一つとして良い結果をもたらすことはない。

相手に対して何かをすることができた。何かをしてあげられた。相手の幸せを願うことで幸せな気分になれた。それだけが結果で、それこそが最高の見返りである。

何も求められないからこそ良い関係が生まれる

何も求めなければ気軽な気持ちで相手に親切に出来るようになる。相手が本当に欲しいものを適切なタイミングで与えることができるようになる。何も求められないからこそ相手は安心して心を開ける。

何も求めないからこそ贈り物をする時も、相手に負担をかけないようなさりげない贈り物を選べるようになる。相手に負担を感じさせなければ、相手はそれを素直に受け取ることができるし、素直に喜んでもらえるのである。

そうした繋がりを積み重ねることで良好な関係が築かれていく。お互いがお互いを心からリスペクトしあう素敵な関係ができあがる。

見返りを求められるか求められないかで、同じ行為でも全く違った結果になる。

何も求めないことのメリットは他にもある。あなたを利用しようとする悪い人間にすぐに気がつけるようになるのである。もしも相手があなたの気持ちを知った上で、あなたを利用しようとする悪い人であればあなたに対して様々な要求をしだすのである。

相手に対して見返りを期待して行動している時はそれが心地良く感じる。そして相手の気持ちに答えようとして、相手にいいように操られてしまう。そして尽くして尽くした挙げ句に捨てられてしまう。

しかし、何も求めないことができるようになれば、相手の意地汚い気持ちがよく見えるようになり、相手に騙されて利用されるようなことはなくなる。悪い人に捕まって無駄に気持ちと時間を費やすことはなくなる。

見返りを求めなければモテるようになる

相手のことを喜ばせようとしたり、気遣ったりの行動でも見返りを求めてしまうということは、相手の幸せを一番に考えているのではなく、自分の幸せを一番に考えているからである。

相手に気に入られて自分のことを好きになってもらいたい。そんな気持ちがあるうちは相手の気持ちよりも自分の気持を大切にしている。優しくするのも親切にするのも全て、相手を利用して自分が幸せになろうとしているだけなのである。

残念ながら、相手よりも自分を優先したり、自分のためにしか動けない人はモテない。自分よりもまず相手のことを考えられる人がモテる。

自分のことばかり優先する人は、いつも自分の幸せを基本にして物事を考える。新設や優しさを見返りが得られるかどうかの損得勘定で考える。はっきり言えば、好きだ好きだと言いつつも、心の底では相手には興味がないのである。興味があるのは自分自身なのである。

見返りを求めるうちは相手がたとえ感謝を示したとしても満足することがない。それどころか、「こんなにしてあげたのに」「これだけしてあげてるのに」という重苦しいプレッシャーを相手に与え続ける。しかしそれを喜んで受け取るひとなど居ないのである。だから見返りを求める人の周りからは素敵な人がいなくなり、あなたを利用しようとする悪人ばかりが集まってしまうのである。

見返りを求めないようになるためには

相手に見返りを求めてしまうのは、実は子供の頃から知らず知らずに身につけてしまった生きるための術だったりすることが多い。

例えば、欲しいものを手に入れるために何かをしなければ親から何も与えられなかったような生活を送ってきた場合、行動の全ては見返りを求めるためにすることになってしまう。

そういった小さなころからの生活の中で身につけてしまった生きるための術に本人が気がつくのはかなり難しい。なので、見返りを求めてはいけないという理屈だけ理解していても、簡単にそれを実行できるようになるものではない。

それを常に意識して矯正しようとしない限りは、ついつい見返りを求めた行動をとってしまう。身についてしまった習慣を矯正するのは簡単ではない。

見返りを求めないようになるためには、少しずつ自分自身の中にある生きるための術を矯正していくことである。矯正することでようやく相手に求めない優しさや気遣いを実践できるようになる。

それは相手からの反応を得て満足するのではなく、相手に対して何かをさせてもらえているという状況に満足しなければいけないということである。そうすることでようやく本当の喜びとは何なのかを理解できるようになるのである。

愛は自分のことよりも相手のことを大切に思う気持ちである。愛に従わなければ人の心を動かすことはできない。

求めれば失う。求めなければ手に入る。

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